子どもの下ネタ好きから笑いを考える

↑まあ、私の息子がお尻を振ってるわけですけどもね↑

幼い息子と生活していると天真爛漫な下ネタでみるみる溢れかえってまいります。

しかし、なぜでしょう?

なぜ子どもは下ネタが好きなのでしょう?

まず、周りが笑うからとか慌てるからといった動機は多いでしょう。下ネタ発言の度が過ぎてお困りの場合の対処法は無反応に限ります。動機が周囲の反応目的だった場合は効果てきめんです。

しかし、子どもの下ネタ好きの理由はそれだけではないと感じます。

子供も下ネタ言葉が一応タブーと言うか、フォーマルな言葉として不適切なものだという雰囲気は感じているので、敢えてそれを言うという解放感もあるでしょうね。

私は自分の数少ない才能のひとつに、「子ども時代の自分の気持ちをよく覚えている」というのを無理やりその数えの中に入れて水増ししています。

思い出すに、私も子供の頃は下ネタを言ってはケラケラと喜んでいました。

幼い私にとってお尻とかウン子さんは、全てのものを超越した独自の地位を持っている問答無用の存在でした。

それらはなんだか憎めないズッコケた笑いのシンボル的存在でもありました。だからマンガになったり縫いぐるみなども有ったりするんだと思いますよ。

落語や漫才などの考え込まれたネタとは対極の「存在そのものネタ」です。

作為も何もありません。

比較すべきものを沢山知ってしまい、巧みなものでないと笑う気になれない大人には、お尻やウン子ネタは馬鹿らしくさえ思えるでしょう。

「お尻で笑おう!ウン子で喜ぼう!」とは言いません。言わんでしょう。

でも、箸が転んでも笑える感性がある人のほうが、人生の笑い時間は多くなります。

私たちも笑いに対してもう少し寛容になれば、結構ハッピー度が上がるのではないでしょうか?

笑いというのは発信者以上に受信者側が主導権を握っているのです。

例えばの話。気に食わない人が面白いことを言ってもなかなか笑う気にはなれないでしょう?

笑いに対して消極的な状態になっているのと、積極的な状態になっているのとでは同じ笑いネタでもウケ方が全然違ってしまいます。

無防備ハートの子どもが些細な事にも無邪気にケラケラと笑う姿を見ていると、こちらの顔までほころびます。

大人も良く笑う人がいれば場が明るくなりますね。笑いは幸せの一種です。A KIND OF HAPPYです。

「臭いモノには蓋をする」という諺がありますが、蓋っていうのは強制的なモノや規制を感じますが、臭いモノって往々にして笑いを誘うことが多いです。特に関西人は「くっさ~」と言うと笑いたくなります。

臭さはある種の破壊力を持っています。例えば、フルコース料理を食べているときに謎のゆで卵ガス臭が漂ってきたら一瞬で台無しになってしまいます。

破壊は落差を生むこともあります。笑いというものは落差からよく生まれますね。ズッコケというのも落差です。

朝起きた時に息子の前で布団の上に立ち上がり「起きたぁ~、と思うたら、こけてもうたぁ~」とひっくりこけて見せると何度でもウケてくれました。小さいお子さんと一緒に寝ていらっしゃる親御さんは、このズッコケギャグよろしければお使いください。その後のお子さんの親を見る目がどうなるかは自己責任でございます。

下ネタっていうものは日常生活に対するズッコケ的なものを感じさせてくれます。それも笑いを誘う要因のひとつなのでしょう。

我が家は子どもの下ネタには寛容ですが、TPOをわきまえる事と「(子供の間の)今だけやで」ということもきっちり教えています。

「なんで?」と聞かれたら息子にイメージさせます。「おっさんがお尻出して振ってたらどうよ?」と。息子はケラケラ笑いながら「キモい」と即答し納得していました。

まあ、天真爛漫な下ネタに限っては普通は自然と治まりますけどね。普通は。

将来、息子は普通じゃなかったというブログ記事だけは書かずに済みたいと願っています。

 

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