亀は万年 たまには寿命を考える

一児の父ともなると、この子が20歳の時には自分は何歳でぇ~、自分が80歳の時はこの子は何歳でぇ~とか考える事があります。

私は死ぬことに関してはさほど恐れを抱いてはいません。死ぬときの苦痛だけが恐いです。

そんな私ですが、妻が出来、息子が出来てからは、当分は死にたくないなと強く思うようになりました。

出来ればこの家族とは永遠に離れたくないですがそうもいきません。お釈迦さんのおっしゃる四苦八苦の中の愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)がよく分かります。

愛する者との出会いは、別れの苦しみの約束でもあるのですね。私は詩人か。

息子に教えてあげたい事、経験させてあげたい事もまだまだいっぱいあります。

苦労をかけた嫁さんにも、もっと楽しい幸せな人生経験をさせてあげたいです。

そうなると、死ぬ時期はまだまだ先になってほしいと切に願いたくなってくるわけです。

思えば大昔では元服というものがあり、早ければ11歳にして大人になる儀式を執り行っていたわけです。

それは平均寿命が現代と比べて2分の13分の1程度でしたから当然と言えば当然。

これは現代人の身体が進化して寿命が延びたわけではなく、ひとえに栄養状態と医療が良くなったためです。

私も昨年に虫垂炎で手術を受けたわけですが、奈良時代にそんな状態になれば手術も出来ず、腹膜炎を起こして死んでいる可能性が極めて高いです。

私の兄は小学生の時に虫垂炎の手術をしているので、時代が時代ならとっくにおさらばしているわけです。

今のこの人生はおまけみたいなものとも考えられます。本当に大サービスで生きている様なもんです。

と言いますか、寿命というのは有って無いようなものですからね。

一寸先は闇なのですから、可能性としては公園で遊んでいたのに1分後には隕石が落ちてきて死んじゃったって事も有り得るわけですから。ロシアの隕石凄かったですね〜。

そういう意味では、もう一瞬一瞬がおまけで生きている寿命大サービスの毎日であるわけです。

そのことを考えると自分の命に対してもう少し謙虚でいなければとか、この身体にももっと感謝の気持ちを持って当たり前かなとか思うわけです。

寿命のことを落ち着いてじっくりと考えると、色んなものが見えてきます。

自分が本当にやりたい事や自分にとって本当に大事なものというのは、死を実感したり大きな災害で何もかも失なったりした時に初めて本当に分かったという人は少なくないです。

たまには自身の寿命についてじっくりと考えてみるのも良いかもしれませんね。

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