代替医療(だいたいいりょう)と自然治癒力

代替医療というと大体は・・・と、どうしても親父ギャグを挟みたくなりますが、整体や気功などがメジャーですね。

その他にも筋膜に働きかけるもの、物質を限りなく希釈したものを使うセラピー、特殊な電気パルスを使ったものや果ては宇宙的な存在からの贈り物みたいなものまで数限りなくあります。

私の数少ない才能の中には「先入観を持たずに何事にもニュートラルに接することが出来る」というのがあります。

私にはどんなものでも頭ごなしに否定することの方が抵抗があり難しいです。

そんな私が天使や宇宙からの贈り物的エネルギー療法みたいなのを好奇心から受けたことがありますが、未だ効果を感じたことがありません。

実力のあるヒーラーに出会っていないだけなのか、はたまた自分との相性が悪かっただけなのかしれませんが、自分の中では信憑性の低い代替医療として分類されています。

そのようなファンタスティックなヒーリングでも効果を感じた人の体験談などはあるわけです。サクラや自作自演の可能性もあるでしょうが、そうとは感じられないものもあります。

神などを信じ治癒を祈る事により癒しが起きる信仰療法と呼ばれるものもあるわけですので、そういったものはその人のヒーリングを信じる心が自律神経に働きかけ自然治癒力が活性して起こるプラシーボ効果みたいなものだというのが一般的な見方でしょう。

人間の心の力というのは免疫に影響を与えるどころではなく、もっと劇的な現象も起こします。催眠術下で、冷たい鉄の棒を焼けた鉄だと強い暗示をかけて腕に当てるとミミズ腫れになったという話を聞いたこともあります。またキリストを強く信じる人が、十字架に打ち付けられたキリストの如く手のひらなどから血を流しだす「聖痕」という現象もあります。

信じる心が何ゆえにここまでの影響を肉体に与えるかは分かりませんが、私はこの心の力は有効に使えば良いのになぁと思いますので、信仰療法などもことさら無意味なものとして否定する気にはなれません。

神仏をとは言わないですが、生命に備わっている治癒力を信じる心を失ってはいけないと思います。プラシーボ効果とはインチキという意味ではなく、まさしく信じる心が生命の治癒力に火を点けた結果ですから。それを信じやすくするために必要なものがその人にとっては神仏の方が薬よりも強い力があるならば信仰療法も充分意味のあることです。

まずは治れば良い。ですよね。

ただ、信仰療法などのやり方は、依存心を作ってしまいやすいですし、ヒーラーや宗教団体を盲信して金銭的な問題や社会的な問題を起こすことに繋がらないとも限らない点にはよくよく心しておいてほしいと思います。

尤も、この依存心のことについては薬や医師に対しても言える事ですけどね。必要なのはメディアリテラシーならぬメディカルリテラシーといったところでしょうか。自分の自然治癒力が全ての大元であることは忘れないようにしておかねばならないと思います。

では、気功などのエネルギー的な療法も全て思い込みによるもので、単なる自己暗示なのかと問われれば、否です。

そう言う根拠となったものは代替医療ではなく、武道での経験でした。

私は30歳前後の3年半ほどの間、とある営業会社で働いていた(営業所閉鎖で退職)ことがあるのですが、その大阪営業所の管理をしている東京本社の部長が空手の達人でした。

大阪営業所にはなんとオフィスにドラムセットやフォークギターにエレキギター等が置いてあり、しょっちゅう下手な素人アドリブセッションが行われていました。断っておきますが音楽関係の会社などではありません。

本社部長はそんな自由な雰囲気の大阪営業所を気に入っていて、しょっちゅう来阪しては連泊するのでありました。

そしてその部長は我々社員を全員部長の所属する大阪の空手道場に入門させ、部長の来阪している日は毎朝、オフィスで空手の稽古をしてから業務開始でした。

まあこれは、大阪の社員と部長との相性が良かったからできたことでもあります。

東京本社ではそういうことが出来ていなかった様ですので、社員に理解して貰えなかったのでしょう。

そしてある日の練習が終わった日の事です。部長が「こっちに手を向けてみ」というので、部長に向かって構えるように手を差し出しました。

部長も私に向かって構えるように手を伸ばしています。「私だけもう一回、組手ですかいな?」と思った次の瞬間です。

差し出した私の手の指がピクピクと動き出し、手の平まで振れだしました。

なんだ?これは!?と思っているところに、部長は「そのまま!」と言って手を動かします。

すると今度は腕までが動き出し、上の方に肘から曲がっていくではありませんか!

これが私が気の存在を実感した生まれて初めての体験でした。

その時の感覚はなんというか低周波治療器で電気を流されると勝手にピクピクと筋肉が動き出すあれによく似ていました。

そのあと私が目をつぶって座り背中から部長が気を当てるとその当て方に同調して私の手が動き、同僚が「おお~」と言っていたので自己暗示などではないのは確かです。

ただ、これに気を良くした部長が、後日一階上の別部署の人たちの前で二人でピクピクのデモンストレーションを試みたのですが、私が皆の好奇の目に緊張してしまった為か上手く動きませんでした(いかに相手が部長と言えども、やらせの片棒を担ぐ様な気もありませんでしたので自分で動かしたりはしません)。

「気」だけに気持ちが流れや反応を左右するのでしょうか。また、気を受けても私のようには動かない人もいるので、100%の再現性とはいかないので、現代科学では認めることが難しいのでしょう。

しかし量子力学の世界では人間の意志が場のエネルギーに影響を与えるという実験結果も出てきています。

「氣」を流すことが出来たとしても、それが代替医療としての効果を持つ手段になるかどうかは分かりません。

ただ、私にはその気功師が「気」を本当に流せているかどうかはこのピクピクで判断できますので、まずはそれが最低条件です。

ただしこれはあくまで私の感じ方なので、全ての人が気を受けるとピクピクするわけではありません。暖かさで気を感じたりする人もいるでしょう。何も感じない人もいるでしょう。このあたりが科学として成立させるのが難しい所以ですね。

とにかくこのブログではピクピクさせてくれるヒーラーに出会ったらとりあえず報告いたします。


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