楽しく生きる秘訣

今日、職場で隣席の女の子が事務机の鍵に付けてあるキーホルダーを私に見せて「日本のものって細かいよねぇ。ほらこのオモチャの蓋の裏にまでデザインが付いてる」とおっしゃるので、「ホンマやな〜。日本はきめ細かいよなぁ。アメリカのプラモデル買った事あるけど、めちゃくちゃ適当やで。組み立てようと思っても全然合わへんねん(笑)国民性やろなぁ。」と返答。

女の子は笑いながら「外国では時間約束は守らないのが普通にあって、電車も遅れるし、車内では音が鳴らないって聞いた事ある。」

私「電車が遅れるっていうのはそうらしいけど、車内で音が鳴らないっていうのは、次は何駅とかのアナウンスが流れないと言う事やろ。外国では降りるべき駅で降りるのは自己責任といった感じだと聞いた事がある」

女の子「そんなん絶対暮らしていかれへん。日本に慣れたらあかんなぁ」

私は二十代の頃にオーストラリアに育ての親を持つ英会話の先生と一緒に2週間程現地に滞在し、その時に印象に残ったことがいくつかあります。

そのひとつは日本食のお店での事。

日本では日本食に限らず飲食店全般でおしぼりが出て来ることはよく見かけるサービスのひとつとしてありますよね。

ただオーストラリアのそれは、少し違っていました。

おしぼり自体は特別なものを出しているわけではないのですが、おしぼりを出す側がその事に特別な意識を持っているからでしょうか、スペシャルなサービスを提供しているという感じなのです。

トングでおしぼりを摘まんでお客さんに「いいでしょ。いいでしょ。おしぼりいいでしょ 」みたいに渡し、お客さんも「いいね。いいね。おしぼりいいね 」みたいな感じで「Ooh!」と歓声をあげて受け取っていらっしゃいました。

オーストラリアでは歓声が湧き起こるおしぼりサービス。日本では客側は当たり前のものとして使い、店側も当たり前のサービスとして提供している。

電車のアナウンスも、時刻通りの運行に対して客側も鉄道会社も当たり前のこととして行われています。

感謝と当たり前は、善と悪と同じようにその基準は相対的なもの。

反対に日本から見て感嘆の声をあげるに値するものも海外にはあります。

同じくオーストラリアでの体験ですが、一緒に行った英語の先生を通じてあちらで知り合った女の子たちと一緒に地元の遊覧船に乗る約束をしていたのですが、約束の時間になってもなかなか彼女たちは現れない。

船客はオーストラリア人ばかりの様で、先生に「これ以上待たせたら日本人の印象が悪くなりますよ」と言い、船にはもう出てもらいましょうと促しました。

先生は船長にその旨を伝えたところ、船長は「じゃあ、船が周回する途中のところで止まってあげるから、そこにおいで」と言ってくれました。

果たして船が出てほどなくして彼女たちが到着。一緒に途中の船着き場までタクシーで移動。

しばらくすると先程の船がやってきました。恐縮しながら乗り込んだその時です。

船客の皆さんから「ワー!」と歓声が上がり良かったね~と拍手で迎えてくれたのです。

感動しましたね。

日本なら、何のリアクションもないでしょうし、下手をすると出航を待たされたお客さんから「どんくさいやっちゃ」という目で見られかねません。

海外に出ると常識や文化が違うので、常識や文化など正解のないものの様々な基準に気づきやすくなります。

日常の中には感謝と当たり前が共に潜んでいるものに囲まれています。

自分のスイッチをどちらに入れるかで感謝が多い人生になるか、当たり前の事ばかりの人生になるかが面白いほどハッキリと別れてきます。

どちらも正解ではないですが、どちらが楽しいかはありますので、楽しく生きたい私は今日も感謝探しを楽しみたいと思います。


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