Am I ADHD?

※このブログのホームタイトルはこの翌日の記事の後に変更されました。

ネットの情報などから自分はもしかしたらADHDなのかもしれないと思うことが以前よりありました。

でもクリニックでの受診などについては自分の単なる注意不足と改善の努力不足を、ADHDに逃げる様な気がして受けずにいました。

しかし、転職により自分の特性がマイナスに働くことが多い職場で働くことになり、ケアレスミスが続発し結構辛い状況になってまいりました。上司から「これ以上ミスが続くと仕事を減らさなければならないし、そうなると給料も今より減らさざるを得ない」と崖っぷちに波が砕け散ります。

前回の記事で病気の原因のひとつとしてストレスなど自然な状態から外れた事をあげましたが、今の職場に変わってからかなりストレスを蓄積してきたと思います。逆流性食道炎になったのは生活習慣の乱れに加えてこうしたストレスもあったからでしょう。

ADHDというものはクリニックでの診断や処方薬を出されたりしますが決して病気ではありません。発達障害です。中には「個性」だと言う方も少なくありません。

ADHDの特徴が部分的には個性として現れている事は事実だと思います。ですがADHDイコール個性と言うのは乱暴な気がします。

個性の一言で済ますには深刻な部分もあるからこそ、医療が必要なのですから。通常、個性と呼ばれるものに医療は施されるものではないでしょう?

もちろん適した活躍の場があれば個性と言うか、適性・才能として活かされるものでもあります。

ネットの情報の中にはADHDなどというものは実際には存在していなく、薬を売らんがために作られた病であるかのように書かれているものもあるほどです。

しかしこれは誤解を招く言い回しであり、本来の話は薬を売らんがために過剰な診断が下された事実があったという事でしょう。

私はまだ診断を受けたことがないので自分がADHDであるかどうかは分かりません。

ですが、自身のおっちょこちょいという「個性」により実社会や生活の中で困る時がある事は紛れもない「事実」であり、それは自身にとって「障害」となることもあるわけです。

「ADHD」であろうが「個性」であろうがそれで困っている人が存在するというのは「同じ事実」なのです。

でもおかしな話です。同じ現象でもADHDというレッテルがつけば理解され、不注意な人というレッテルだと理解されず、時に怒りをかったり、いじめの対象にさえなる事もあるわけです。

どちらも【そういう人なんだ】という捉え方で済む話だと思うのですけどね(あくまで捉え方の話、感情の整理の仕方としてです。仕事の業務遂行上では、だからと言って放置など出来ないのは言うまでもありません。そして、それがまさにADHDの人の悩みの多くなのです)。

きっと障害の無い人は自分が起こす「不注意」と、ADHDなどの不注意がなかなか直せない人が起こす「不注意」が同じものだと思うから、自分の基準で考えると努力不足とかいい加減な人だとの見方をしてしまうのかも知れませんね。

不注意を直すのに必要な意志力(注意に要する必要なエネルギー量)は人によって大きな差があるってことを理解している人は多くありません。

ひとつ、自分自身で普通と違うなと感じたことを挙げてみましょう。

例えば私は強度の近視なのでお風呂場にも眼鏡をかけて入るのですが、洗髪するときには当然眼鏡を外し風呂場の中の棚に置いてシャワーを浴びます。

そしてシャワーを終えて風呂場から出ていくわけですが、その時に眼鏡を忘れて出てきて必ず取りに戻る羽目になるわけです。

誰でもたまにはそういうこともあるかも知れませんが、私の場合は「今日こそは眼鏡を持って出てくるぞ」と思って入っても、眼鏡を持って出てこれた事が一度もありません。

シャワーを浴びていると何かしら考え事が生まれて眼鏡の意識と入れ替わってしまうのです。

私は頭の中というものは常に何かしらの考え事或いは歌などがあるものだと思っていましたが、妻に同意を求めると「何も考えていない」との返事を貰い、「こんな人も実在するのか」と驚きましたが、実在して驚かれるべき存在は私の方だったと。ハイ。

ADHDの特徴として頭の中に常に考え事があるというのがあります。

それだけを取り上げても私がADHDを疑う理由として1ポイントゲットです。

さて、明日、クリニックに行ってきます。

報告は明日に書きますね。

 

関連記事

コメントは利用できません。
ページ上部へ戻る