少し前に母を亡くしました。
母の供養はそれすなわち今となっては一番近い先祖の供養でもあります。
それでは遠い先祖はとなると、我が家の永代過去帳には弘安という年号も出てきておりますので、800数十年前のご先祖さまの名前が毛筆で記されているわけです。
その過去帳を保管してある仏壇も先祖伝来のものと聞いた事があるので、もしかしたら同じぐらい歴史のある仏壇なのかも知れません。
こんな小さい黒檀の質素な仏壇なのに。
そうか!小さかったからこそ持ち運びしやすく、様々な局面を乗り越えて来れたのかも知れないですね。
なんだかすごいですね。お寺のご住職も「こんな立派な過去帳はなかなか持ってる人は少ないですよ」と驚かれていました。
そしてそれをも遡っていくと、ご先祖様はやがて原始人になり、類人猿になり、猿になりなさる。
先祖供養は猿供養も含むわけですか!
猿をも遡ると猿は去り、去る者は追わず。そして現れるはやがて古代の海の原始の生物。
先祖供養はアンモナイト供養も含むと・・・。
と言うか、アンモナイトも遡るとやがてミドリムシや単細胞生物、そして更に遡ると生物を生み出した地球そのもののボディ。
ここに来て先祖供養は一気にスケールアップして、地球供養となり、命の繋がりに畏敬と感謝の念を持つにまで至ります。
更に遡ると地球を生み出した宇宙の塵、そして宇宙の塵を生み出す元はと言えば、宇宙創成のビッグバンではないですか。
先祖供養は宇宙供養と知り、この上ない最大のスケールにまで広がってしまいました。
そうか・・・当たり前だけれども、私たちはビッグバンの子孫なのですよね。
ビッグバンの血が流れているのですよね。
そして我々だけでなく生きとし生けるものどころではなく、存在するものすべてが可視も不可視も含めてビッグバンの子孫。
地球は一家、人類は兄弟どころではありません。
今日のこの記事は、スケールだけはお寺のご住職の法話を上回っております。
ほっこり度では定番の「手のひらのシワとシワを合わせてシアワセ〜」には敵いませんが。
でも、こうして改めて自分という生命が出現するまでのプロセスを自覚すると、全てに対してもう少し優しくそして感謝しなくてはならないなぁと久々に感じた次第で候。
電車の中でちょっとした事でケンカが始まったのを何度か見てしまったことがありますが、相手が知人、友人、家族なら絶対にケンカなぞにはなっていない程度の事です。
全ての存在との繋がりを意識しようとは言わないですが、せめて「同じ人間同士。仲良くしようや。」程度の気づきがあれば、社会のギスギスももう少しマシになるかなぁ〜なんて思います。
この質素な小さい仏壇を前に、もしかしたら今私は日本で一番スケールの大きい先祖供養をしたのかもしれません。チ〜ン