ニコニコしている豚さんがデザインのお肉屋さんの看板を見て息子が言いました。
「あの豚さんは食べられてしまう側なのに、なんであんなに嬉しそうな顔をしてるの?」
ああ!私が子どもの頃に抱いた疑問と同じだ。やっぱりそう思うよなぁ。
社会的洗脳をまだそんなに受けていないから素直に感じるんですよね子どもって。
人間の身勝手さと言うか都合の良さと言うか、臭い者には蓋をする様なそういう面をあっけらかんと白日の下にさらすツッコミをします。
そもそも生きているっていう事がそれだけで何かの犠牲の上になりたっているのですが、そこを見ようとしないように、見せようとしないようになっていますね。この社会は。
でも、事実をしっかり認識しないと豚さんへの感謝も生まれないと思います。
私たちが美味しく頂いているお肉は決して豚さんが笑って提供してくれているわけではありません。
大昔なら自分たちで狩りをした獲物を食するしかないので、その事実を認識したうえで食べていました。
家で待っていた子どもたち家族も狩られてきた獲物を見て命を頂いている事は自然と分かっていた事でしょう。
ところが現代は綺麗にカットされパッケージングされたお肉しか目にすることがないですから、頭では豚の肉と知っていても感覚では食材としてしか認識され難いです。
当たり前のことですけど、人間もお肉を食べているときはライオンの様な肉食動物と同じく狩り(屠殺)の結果としての食にありつけているんですよね。
そのことに突然実感として気づいてから肉が食べられなくなり菜食主義者になったっていう人も実際にいらっしゃいます。
でも、私はそこまでは思い悩みはしません。何故って、そういう風に作られている生き物が人間なのですから。
動物を愛でる一方、動物を食べもする。そんな矛盾した生き物が人間です。
そしてもうひとつは、人には体質というものがあります。例えば、同じ乳酸菌を摂り入れても効果を感じる人もいれば感じない人もいるという事は、腸内フローラと言われる腸の中の細菌叢も人の個性の如く違いがあるからでしょう。
世の中には草食動物並みの腸内細菌を持っているがために、完全菜食主義でも健康でいれる人もいるかも知れません。一方、菜食主義で健康を害した人がいるのも事実です。勿論、肉だけしか食べないというのも健康を害す食べ方です。猿などを見て考えるに、基本的に人間は、菜食主体の雑食動物だと思います。
だいたい、肉食動物という書き方が誤解をまねいていますね。ライオンなども肉食動物と言うよりも捕食動物と言った方が正確です。
何故なら、ライオンなども捕食した草食(植物食)動物のお腹から食べます。つまり植物食動物が食べた草などが入っている腸から食べるわけです。間接的に雑食してますよね。
捕食動物の歯は臼歯も尖っていますので、植物食動物の平べったい臼歯でよくすり潰された植物を食べる。理にかなっていますよね。
理にかなっていると言えば、ライオンなど捕食動物がいなければ植物食動物が増えすぎて、植物食動物によって植物が食べつくされ生態系は崩れていくでしょう。絶妙なバランスの上に自然界は成り立っていますね。
ただ、人間だけが飽食と言われる必要以上に肉を始めとした食べ物を食べてしまう傾向があります。
その理由は、人間は料理を覚えたからです。それによって食事は単なる栄養補給から娯楽へと変わりました。
他の動物達は食べないとお腹が空いて仕方がないから、味など大して楽しめもしないであろうに食べています。
中には果物とか蜂蜜とか美味しいものもありますが、全ての動物がそう毎度毎度ありつけるものではないでしょう。
また美味なるものも料理物程のレベルではなく、素朴な美味がほとんど。
高校の授業の時に先生がおもむろに聞きました。「日本ではどうして魚がよく食されるようになったか知ってるか?」
「それはな、醤油があったからだ」まあ、それだけではないでしょうけど、なるほどと思いました。
素材そのものの味である刺身ひとつ取っても、人間はより美味しくしています。
人間は自然界には無いもの、つまり素材だけでは生み出せないレベルの美味に、(家畜、果物や野菜ですら人間は人の手による品種改良を行い、自然本来の原種よりも美味しく作り変えています)いつでもその気になれば毎日そして必要以上にありつけるのです。
結果、必要以上の栄養を取ってしまい、栄養過多になることもあります。
栄養素が偏る事も少なくないです。
もし人がライオンと一緒になってシマウマの腸や生肉を食べれたとしても食の楽しみは感じられないと思います。
牛と一緒になって牧草を食べても同様でしょう。
でもペットなどに人間がきっちり料理したものを食べさせると、次からはそっちの美味しい方の餌を要求するようになるので、動物も味覚は人間とよく似ていると思われます。
ただ知らないだけなのです。知らぬが仏です。
人間には発達した理性があるのですから、必要以上の肉食などはしないように判断するのがまた自然というものでしょう。
自然から逸脱すると、身体という自然システムは不調や病気というシグナルで修正を促すことになります。
私自身は肉はあまり食べず、魚を食べる事の方が多いし野菜も好きですが、命を頂いていることには変わり有りません。
私も必要以上の無駄な殺生はしたくないし、してほしくないと思います。
ただ一部の過激な動物保護団体などに見られる独善的な正義の押し付けは勘弁してほしいものです。
例えるなら、ライオンに食べられそうになっているシマウマを助けるためにライオンの狩りを妨害して「良いことをした」と喜ぶようなことです。そういう人は、その先に訪れるライオンの空腹や最悪の場合の死は自分の価値観の世界では問題とならないか、そこまで想像力が及んでいないのです。
鯨肉は駄目だが、牛肉は良いというのも同じような次元だと思います。しかもその理由が牛は知能が低いから良いのだとかおっしゃってました。その様な考え方をしている人に、知的障害者に対する捉え方はどうなっているのか聞いてみたいものです。
ただ、鯨が絶滅する程にまで捕獲するのは人間の理性で調整して避けるべきだとは思います。それは森林伐採についても同じですよね。
鯨で思い出しましたが白いクジラに片足を食いちぎられた船長がそのクジラを悪魔の化身とみなして復讐するという映画を見たことがありましたが、動物に仲間を食い殺されて怒る動物は人間だけでしょう。シマウマがライオンから子どもを守ろうと戦うという事はありますが、ライオンに食べられた子どもの仇討ちをしたシマウマの話など聞いたことがありません。
動物たちは食物連鎖の法則(ルール)の中で粛々と生きている様な気がします。
善悪というのは絶対的なものではなく相対的なものですが、人は自分の価値観で決めた善悪の観念を普遍的なモノと勘違いしていることが多いですよね。
復讐の船長は悪意も何もない鯨という動物の行為に、悪意や善意のある人間の行為を重ねて見てしまったから鯨が悪魔の化身になってしまったのです。
これと同じことを人同士でやってしまうのがこの社会です。
読心術でも使えるわけでもなければ相手の真意などそう簡単に分かる筈がないのに、自分の経験や価値観でこうに違いないと決めつけて一瞬で反応してしまう。
私もうっかりそうなってしまう事があります。
そうなると怒りに火が付く原因にもなることがありますので、怒りそうになった時は10数えるようにしています。
すると相手の立場に立って考える余裕もできます。
人は人の考えが分かると大半のことは理解でき、溜飲が下りるものです。
「怒りたくなったら深呼吸して10数える」ストレス社会に浸透させたいものです。
そしたら、よく車内トラブルを起こす朝の通勤電車ももう少しスムーズになるかも知れません。
ああ、今回は話題がものすごくコロコロ変わってしまいました。ADHD、ちょっと暴走してしまったようです。
最後まで読まれた方、凄いです。
ありがとうございました!