不注意型のADHD 天然ボケと呼ばれる笑い上戸

天然ボケも頭を働かせている

私の場合はADDとも呼ばれる不注意型のADHDであるらしく、衝動性という部分はあまり目立つことはありません。不注意且つ考える視点のズレ故か天然ボケと呼ばれる現象はよく起こしています。

ADHD特有の頭の中に常に何かしら思考が湧き起こっているということは顕著に自覚できる事でして、思い出し笑いもよくしてしまいます。

辛いのは私の場合は笑い上戸で一度笑うと引きづるので、仕事中に何かのきっかけで笑い系の思考が湧き起こると大変です。決して仕事に不真面目なのではなく、この脳はひょんな事からパパッと瞬間的に連想してしまうのですから勘弁してほしいです。

そして聞き間違えも間違いなりに瞬間的に意味のある言葉に組み立ててしまうので大変です。

職場で後ろの席の女性がパソコン画面の地図を間違えて消してしまって「あ~ん!地図消しちゃった~」と言ったのを「あ~ん!口づけしちゃった~」と聞こえてドキドキしたり、仕事の打ち合わせで「明日、君は 午前の部 担当ね」が「明日、君は おでんの具 担当ね」と聞こえて「僕は目玉焼きとインスタントラーメンぐらいしか作れないですが大丈夫ですか?」と言ったら、当然「何を言ってるの?」と言われました。

僕の頭の中では「口づけ」の時はその女性が何か文房具かオフィス用品に唇をつけてしまったのかなと思ってしまったり、「おでんの具」の時は会社でちょっとしたイベントが開催されるのかなとそれなりに話の辻褄までもが瞬間的に組み立てられてしまうのです。そんなことがよくあるわけですが、これもADHDの特性である可能性があります。

少年時代に現れていたADHDの片鱗

また、幼い頃から嬉しがりと言うのでしょうか、嬉しくなりやすい傾向がありました。

小学一年生の時のことですが、授業中に先生が何か冗談を言った時に、私は笑いながら椅子から床に転げ落ち「面白い~!」と言いながら、床の上で平泳ぎをしてしまったのを今でもよく覚えています。

何故よく覚えているかというと、通知簿に書かれてしまったからです。「授業中に床の上で平泳ぎをすることがありました」と。

通知簿を見た母親から「あんた、何よこれ」と言われましたが、私からすると気持ちを身体全体で表現してしまっただけで「先生が面白いことを言うからやん」という気持ちであった事をハッキリ覚えています。

たった一回のレッドゾーンなのに、若気の至りと言うにも若すぎる至りなのに、やはり先生にとっては相当インパクトが強い出来事だったのでしょうか。それとも通知簿に書くネタがなかったのでしょうか。と言うか書きながら笑ってたりしてなかったですか先生?通知簿のネタをガチでネタにしたのですか先生?母は半分しか笑っていませんでしたよ。

人の評価に振り回されるなかれ

職場では天然ボケ故のケアレスミスが多く、恐縮する毎日を送っているわけですが、こんな私のどこを見てか知らないですが普段の言動に対してしばしば「こんな大人にならないとあかんな」と暖かい目で言って下さる聖人の様な上司もいらっしゃったのも事実。

私は「いやいや。こんな大人になったらあかんでしょ」と言いかけましたが、折角のフォローの気持ちを有り難く受け取らせて頂きその言葉を飲み込みました。

思い返せば学校時代(特に中学生の頃)は私の事を否定的に評価する先生と好意的に評価する先生とがハッキリ別れることが多かったです。

否定的な先生はいわゆる教条的なカチッとしたタイプの様でした。

一方、好意的な先生の一人は美術の先生。もう一人は数学の先生でしたけどその後、自律訓練の第一人者として紹介されるほどのメンタル系の起業者となりました。職場の聖人上司もコミュニティ放送ラジオのパーソナリティを趣味でしていたりとクリエイティブな方でした。

美術教師、メンタル起業家、ラジオパーソナリティ・・・どれも私の興味を引くところであります。私もコミュニティFM放送のDJを経験したことがありますし、何かしら共鳴しあう部分があったのかもしれません。

人にとって大事な事。大切な事。「これさえあれば後は目をつぶれる」というポイントは違いますよね。

それゆえに評価というものは分かれるのでしょうけれど、私の障害も含めた個性はどうも両極の評価を作り易い様です。

アホな事をするのが好きな性格故に、友人関係ではおおむね幸せな時を過ごせ人気者と呼ばれたりもしましたが、たまにアンチ派の人からのいじめに遭う事もありました。

私の性格は褒めてもらうと素直に嬉しくなりますが、一方、否定的な意見もよく心に響き自信喪失や自己嫌悪になり易いです。

だから私は「他人からの評価は自分そのものではなく、見る人それぞれの特定の角度からの自分という存在の見え方に過ぎない」という事を自分自身によくよく言い聞かせるようにしています。

他人を見る自分の目もそうなんだという事と共に。

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