発達障害のある人は人を信じやすいという その1

私は人を疑うという事が苦手で、気を付けているつもりでも気の付け方が一般のレベルから見るととても甘い人でした。今は度重なる経験によりマシになりました。

嘘をつかれて自分が騙されるのは困るけど、嘘をついていない人が嘘つき扱いされてしまうよりかはマシかなと思ってしまっていたわけです。

まあそれが自分の個性だろうと思っていましたが、ADHDなど発達障害の人は騙されやすいという共通点があるみたいで、実は個性と思っていたものも障害由来だったのかと思うと性格ってのは何かいなと思ってしまいます。

商業高校を卒業した私は、社会人デビューを十代で切っていますので世間知らずの鴨葱(カモネギ)の私は、営業のカモにされまくりました。

例えば英会話教材の営業トークを聞けば「へえ!すばらしい!でも、お金が・・・。」と躊躇するも営業マンの「お金は価値ある使い方をしてこそ」みたいな巧みなトークに「分かりました!お小遣い切り詰めて頑張ります!」と着地していました。

たくさんの別荘を大勢の人で共有する様な会員サービスの若者向け営業にも同じように「おお!素晴らしい!家族や友人たちにも喜んで貰えるじゃないですか!でも、今度ばかりは親に相談しなくちゃ無理です。」と躊躇するも、営業マンの切り替えしトーク「自分自身のことだから自分で決めることです。自分がどうしたいかです。」に「みんなと一緒に楽しみたいのが僕の気持ちです。分かりました。申し込みます!」と着地。アホです。

で、実際にその会員サービスを使って初めてイメージとは違う使い勝手に気が付いたり、そもそもサービスを使いこなせるほどのお金も時間もないので、サービスの持ち腐れ状態で結局お得感どころかマイナス感を知る事になりました。そして営業マンを疑う事も段々知りました。

あと街角募金を見かければ大抵募金していましたし、「恵まれない国に利益還元しているコーヒー豆なんです」との理由でNPOの訪問販売が来た時も躊躇なく一箱購入しましたね。

訪問販売の人も営業が苦手そうで気弱そうな若者で「え!?買ってくれるんですか!」と言って涙ぐんでいましたので、殆どの人は断っていたのでしょう。

買った後で気が付きましたが、コーヒー豆そのままですから焙煎ショップにでも持っていかなくては飲めませんものね。そりゃあ買ってあげたくても少し考えたら買わんでしょう。

私はそのNPOの活動と訪問職員の気持ちに対してお金を払ったわけで、商品についての考えはなしで購入したので後から気が付いたわけです。「これ。どうしよう~」って。

 

ちょっとヤバい話では、20代の頃にビデオセンターという謎の組織が街頭でアンケートをとっていました。

アンケートの中身は今の世の中や共産主義、資本主義についてどう思うかなどの内容だったと思います。

アンケートに答え終わりますと、今度は名前、住所、電話番号まで教えてくださいと来ました。

これにはさすがのお人よしヨッチャンの私でも拒みました。

するとその男の子は「じゃあ、せめてビデオだけでも無料なんで見ていってください!」とあまりにも熱心にすすめてくるものですから「この子もこうやってアンケートの成果を持って帰らないとノルマのこと言われるんやろなぁ」などと何かの営業だと勝手に思い、そのビデオセンターにチラッと伺って帰るつもりで入室しました。

ですがそこで見たビデオは宇宙の成り立ちや原子の構造、そしてそれらに共通する特徴など自分にとってはとても興味深いストライクゾーンの内容だったのです。

良い意味で予想を裏切る展開に、当初営業トークが待ち受けていると思っていた私は「こんないいものを無料で提供されているのですか!素晴らしいですね!」と感激の感想を語っていました(苦笑)

いつでも来てくださいとの言葉に甘えて会員カードを作ってちょくちょく来るようになりました。

しかし!後で知る事になったのですが、このビデオセンターとは実は統一教会(世界基督教統一神霊協会)が素性を隠し布教を広めるための活動拠点だったのです。

こんな記事を書いているくらいですから入信しなかったわけですけども、まあ世間の話だけで決めつけるのも片手落ちだなと、教会側の話も聞いてあげようと思い結構踏み込みました。

宗教団体というのはどこも信者の第一印象というのは優しそうなのでしょうけれども、ここのスタッフ達も一人一人は本当に良い人ばかりでした(少なくともそう見えました)。

まだ信者でない人の為の泊りがけのセミナーへすすめられ、まあ内部から見た実情も知りたいところでもありましたのでとりあえず参加しました。

セミナーでは、なぜ教祖が救世主なのかといったことについて歴史年表などに当てはめて論理的にレクチャーされていました。

論理的に話を進めるから頭で納得する現代の若者でも入信しやすいのです。

そして、その後に感情に訴えるキリストや統一教会の教祖の苦難の話をし、その時に周囲のスタッフは皆涙を流しすすり泣き、そうなると涙を流さない自分は冷たい人間なのかと勘違いし、泣かなくてはという思いになり泣きだす人が増えてきてそれが連鎖する。

すると半信半疑だった人も皆が泣いているので「皆は信じたのだな。」と思い、集団心理による判断で皆と同じ信じる側へ傾き易くなるわけです。

その気持ちの動きの分析は、最後まで泣けなかった私自身の心の動きから類推したものなので保証は出来ませんが、当たらずも遠からじかとは思います。

そのセミナーのスタッフに明るく面白いキャラの青年がいまして「統一教会に出会うまでは本当に無茶苦茶な荒れた人生を送っていて、ここに出会っていなかったら今頃は刑務所か死んでるかだったと思う。」とギャップのある告白をしてくれていました。

この言葉は今でも人の内面世界に自分の価値観による善悪観や結論を安易に持ち込んではならないという教訓として私の頭に残っています。

例えばこの青年を統一教会から脱会させたところで、それに代わる或いはそれ以上の青年の生きがいや支えになるものを提示できないのであれば、脱会させる側の自己満足でしかないわけです。少なくとも脱会前より悪くならない為のフォローまでは用意しておく必要はあります。

私も若かったのでセミナー後は半信半疑状態で(例えば歴史年表の話というのは、キリストが生まれたタイミングも含めた歴史上の出来事の繰り返しパターンと統一教会の教祖の出生タイミングなども含めたシンクロの話ですが、そう言われればそうも見えるし、シンクロをこじつけていると見ればそうとも見える)、家に帰ってかなり悩みました。カワイイ💛

入信することが家族やみんなを救うことになるかもしれない。しかし、真実でなかったら取り返しのつかない大変なことになる。

私は真実であった場合に自分自身が救われることよりも、真実でなかった場合に周囲が受ける悲しみや苦しみの方が問題だとの結論で入信しませんでした。

後々、色々と反対派の文献なども調べるうちに反対派にも極端な人もいる事を知りましたが、まあ悩むこともなくなりました。冷めました。

長くなったので続きは明日に。

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