市川海老蔵・小林麻央夫妻の代替医療の件について思うこと

ここのところ世間に評価を上げられたり下げられたりと落ち着かない市川海老蔵さんです。

せめて今はそっとしておいてあげて欲しいところですけど、まあ有名人の辛いところですね。

ネットの書き込みなども海老蔵さんの過去の暴力的行為や隠し子の話などを、今の海老蔵さんを見て言うのはちょっと容赦なさ過ぎではないでしょうかね~。海老蔵さんが麻央さんの事を「自分を変えてくれた人」と言ったのはそういった出来事も含んだ過去の自分を指して言っているのでしょうし、麻央さんはそんな海老蔵さんを紛れもなく愛していたのですから。

これからの海老蔵さんの行動がどうなるかは分かりません。

もしかしたらがっかりさせられる事もあるかもしれないです。

でも今の海老蔵さんが見せた妻子への愛情の表現が見せかけだったとは思えません。またそれらポジティブな印象が海老蔵さんの全てである筈もありません。当たり前です。人間は矛盾した生き物ですから。

善悪まじりあった人間の悪い部分にスポットを当てて非難する時、殆どの人は自分を棚に上げています。その非難が真に相手を思う気持ちから発されたものなら意味はあると思いますが、了見の狭い正義感やいじわると言ってもよい様に感じる文面も少なくないです。

まあ、海老蔵さんに寄せられる多くのフォローに対して、良い部分のみにスポットを当てる事への苛立ちを感じた人達のカウンターだとは思いますが、そんな事は言われなくとも世間の大半の人は(そして本人も)分かっている事ですが敢えて触れていないのです。今の海老蔵さんに対してはカウンターは酷だと思っているから、フォローサイドで見守っているのです。

ちょっと前振りが長くなってしまいました。

今述べた世間からの声の中には、海老蔵さんが代替医療に固執したが故に麻央さんの標準医療の機会喪失を招き手遅れになった、という様なことも触れられてきていますね。

まず海老蔵さん麻央さん夫妻の病気に対して行った克服の仕方を側で見ていたわけではない私には、何一つ決めつけが出来ないことを申し上げておきます。

ただ二人とも真剣に病を克服しようとして行動していたであろうことは間違いないでしょう。少なくとも私にはそれを否定する根拠が見当たりません。

このお二人の結果を見て標準医療をさっさと受けていればなぁ等と残念に思ったりするのは自由です。でも二人が最善と考えて決めたことを非難するのはやっちゃいかんことだと思うんですよね。結果論ですもん。

かくいう私は代替医療肯定派ではありますが、私の場合は標準医療は必ず受けます。特に検査は安心を得る為と、代替医療の精度を上げる為にも役立ちます。ただ放射線などを使う検査は安易には行いませんが、胸部レントゲンは学校や職場の健康診断の度に受けてきましたし、頭部レントゲンは鼻や歯科も含めると二十回は受けていると思いますし、頭部CTも6回、頭部MRIも2回受けています。

最近では夜に強烈な腹痛を感じた時に下腹部から胸までCTされました。私は虫垂炎だと思い訴えましたがCTの写真を見た医師はそれを否定。夜間の当直医だった為、明日専門医がいるのでもう一度来てくださいと薬も渡されず帰されました。

帰宅後も痛みの為に眠れない私は、他に手の打ちようがなく電話で気功の遠隔ヒーリングを頼みました。するとどうでしょう。痛みが引き、朝まで眠れたのです。これを単なる自己暗示の力と片付けられますでしょうか?それならすごい才能です。私の自己暗示力。

ヒーリング中に何故かお腹とは関係のない左腕にピクピクとした動きが出ました。遠隔ヒーリングが終わったころにスマホに届いたメールには「左腕にも気の詰まりがありましたので気を通しておきました」とありました。私には単なる偶然の一致とは思えません。

ただ私の場合はだからと言って翌日以降は気功治療に切り替えていこうとは考えず、病院へ向かいました。気功だけで処置するには適切でない状態だと感じたからです。

あと氣の存在は確信していますが、氣の作用は万能だとまではまだ私には思えません。氣を受ける側の意識の状態も関与しますので、効果に波もあるかもしれません。

もし検査の結果「痛みの原因は分からないが放っておいても問題ない」とでも言われれば、気功治療をしていこうと考えていました。

翌日の再診での専門医もCT画像を見て虫垂炎ではないと思うと言っていましたが、痛みも戻り始めていた私の主訴を聞いて念のためにと行ったエコー撮影でようやく虫垂炎と断定。手術をしたところ既に癒着しかかっていたとのこと。放っておいたら腹膜炎を起こして命に関わっていた可能性もあります。このように標準医療だってミス(この場合は限りなく誤診です)はあるのです。

私は前夜の遠隔気功で急性虫垂炎の進行を少しでも遅らせることが出来たのだろうと思っています。痛みで眠れなかったのが痛み止めの薬も飲まずに眠れたのは説得力のある出来事です。

 

結局、何事も危険度の天秤にかけて軽い方を選ぶという事になるわけです。でもその天秤に乗せるものはどれが正解かは人によって異なるから難しいのです。

私は以前の記事にも書きましたが元々は何事もとても信じやすい人間でした。その反面ニュートラルなポジションで考える事も忘れずにいました。ですので、自分を育んだ常識のサイドだけでの思い込みをせずに、反対サイドにも実際に踏み込むという人生を送ってきました。それ故、少なからぬ損害が出たこともありますし、失敗もあります。でもその人生のおかげで色んな立場の気持ちを経験することが出来ました。

その上で言います。

天秤に乗せるもの。それはその人の信じているものです。その人の信念や人生観とも言えるでしょう。しかも人は自分の乗せているモノと違うものを乗せている人を見ると「その天秤に載せているものは違う!間違っている!」と思うし、言いたくなるのです。とても多くの人が自分独自の信念だとは気づかずに、普遍の真理かのように思いこんでいます。何故ならそれが楽で落ち着くからです。

天秤は一つしかないものだと思っている人にとっては、相手の方を認めると自分の方を否定しなくてはならないから混乱します。

天秤は人それぞれの分だけあるものだと気づいている人はどちらの考え方も認められます。

治癒について大事なモノ。それこそまさしく信念です。信じる心が引き起こす治癒は計り知れないモノがあります。信仰療法というものがありますが、信じる力が自律神経を通して自己治癒力・免疫力を活性したのか、それとも本当に神的なものの力に触れたが故かは分かりません。

でもどちらでも良いのです。

現代医療だって部分的には信仰療法です。プラシーボ効果がありますからね。治療は医師を信じた方が効果が高いです。医師に触診をされただけで症状が楽になったりすることもあるのです。反対に医師に疑いを持ちながらの治療は功を奏しにくいものです。

そして逆に言えば医師も代替療法家もそこにつけこむことが出来ます。どちらの患者の方にも盲信している人はいます。

信じないと功を奏しにくいし、盲信してもカモにされてしまう可能性が高くなる。難しいところですね。

だから私は線引きをしています。私なりの信念に基づく線引きを。

医師は親身になって聞いてくれるか否かで大体見分けられます。

ヒーラーは脅すような事を言ってきたり、標準医療を否定したり、法外な治療費を請求したりするのは論外です。むしろ、弱い心につけ込むのが巧妙なヒーラーなどは一見優しいですから、その方が見抜くのが難しいです。

以下、参考までに私が気功などの代替医療を用いる場合を書かせていただきますね。

1.標準医療では原因不明や不定愁訴と片付けられてしまうしかない症状や慢性的な病気の場合。

2.その病気が初期の段階でしばらくは放っておいても問題の無い、或いはまだ最悪の事態は十分に避けられる限定した期間である場合。そこで代替医療を試してみて悪化が止まったり少しでも改善の兆候が見えたら、それで様子をみる。勿論、病の進行が止まらなければ、危険水域に入る前に速やかに標準医療に切り替える。

3.標準医療を受けながらその副作用や体力低下などを和らげる為の手段として使う場合。

4.標準医療では根治できないとされた病気の場合(薬物療法から脱却したい場合も含む)。

以上ですが、漢方療法を受ける場合も当てはまりますね。

お役に立てば幸いです。

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