家族って一言で言って何でしょう?
これって当然ながら、それぞれの家庭ごとに答えがあるものなのは承知しています。
でも敢えて、「家族とは?」を一言で言ったら、私の場合は「この世で一番親身に考えてくれる人」かなぁ。
まあ、運命共同体という言葉もあり、大体同じ意味ですがニュアンスが違うでしょ?
幼い子供からしたら親身どころか親は自分の命に直結する存在です。
私は幼稚園に行くようになる前の頃のことですが、昼寝をしていて目が覚めたら家に誰も居なくなっていて恐怖で泣きじゃくっていた思い出があります。
親のいない強烈な淋しさと共に何かの存在が押し寄せてくるかのような不安感を感じたのを覚えています。
母親は買い物に出かけていたのですが、子どもがこんなに恐怖を感じているとは思っていなかったのでしょう。帰ってきた母は泣き叫ぶ私を見てキョトンとしていました。
こんな事を体験した私は子どもが一人じゃ怖いと言う気持ちが感覚的によく分かります。
親から見た子どももまた逆の意味で一心同体と言うか、自分の命よりも大事な存在。
まあ、これに関しては私の場合は妻に対してもそうですけどね。
結婚相手は自分の命よりも大事な人っていうのが、私の恋愛結婚の基準でしたから。
結婚して17年ですが、妻に対するその想いは変化していないのは幸せな事だと思います。
ちょっと話がズレてしまいましたが、親身になるっていうのは我が事の様に感じ考えてくれるって事です。
残念ながらそれを感じられる家族ばかりではないでしょうが、今回は幸いにも感じられている人での話をしています。
それを感じられる家族と共に住んでいるって事はものすごく恵まれた幸せな感謝すべき事。思えば生まれてすぐに捨てられた赤ちゃん、児童虐待や反対に親虐待なども現実として起きているわけです。
でも空気と同じで当然の様に日常の中にあるものって、無意識化されて感謝や有り難みを段々忘れていってしまうんですよね。当然のこと、当たり前の事になってしまうと感謝から遠ざかる。
恵まれた環境が当然の事としてあるというのはとてつもなく恵まれた事なんですが、それに気づくには往々にして何かの事件がきっかけになるんです。
事件とは文字通りの場合もあるし、病気や事故、人間関係(不倫なども含む)、災害、何らかの罪を犯してしまったなど普通とは違う出来事です。
出来れば起きて欲しくない事ばかりですが、家族の真骨頂が現れるのもそういった時です。
世間の常識と、家族の常識とは違います。
災害に遭った時などは助け合うのは家族なら当たり前で、他人もボランティアや寄付などで助けようとしてくれる人も少なくないです。でも家族程に助けてくれる人はいないです。
そしてそれが災害ではなく例えば家族が犯罪を犯した時に、逮捕されても愛し通せるのは家族以外にはなかなかいないのではないでしょうか?
芸能ニュースなどでは、有名人の犯罪や不倫などの報道がニュースバリューが高いと言うか、視聴率を稼いでいるわけですが、私は何があっても失われない愛を育む事が家族のテーマだと思うんです。
だから願わくば、家族に色んな事件が起きても、世間の常識や感覚に振り回されず、家族としての愛を深める出来事として捉えて欲しいのです。
勿論、それは手放しで許すというわけではないです。
罪を犯した場合は償うべきことは償わせ、心を入れ替えるべきところは入れ替えてもらう必要があるのは当然です。許すのはその上でです。
でも愛がなければ、その「許す」ところまで到達できないのです。
自分では分かっている様で、思ってもいなかった間違いを犯す事がある弱さを持っているのが人間。しかし間違いを学びとし、生まれ変われる強さを持っているのも人間。
家族愛は最も貴い愛である「無償の愛」に最も近い場所にある愛だと思いますし、そこに至る為の学びを最も深めあえ易いのが家族だと思います。