焼き肉の日に人間関係というものを考える

8月29日は焼き肉の日です。

この日は今は亡きMr.マイケル・ジャクソンや今も健在な八代亜紀さんの誕生日でもあります。

そしてこの華麗なる焼き肉の日である今日に、私の降誕祭も行われました。ファミレスにてクーポンを加齢にいや華麗に使いこなしながら。

今では誕生日は加齢を自覚する日と成り果てましたが、こんな私にも「なっかなか年齢って増えないなぁ~」ともどかしく感じていた日々があった事を思いだします。

そんな小学一年生頃の私は20歳ぐらいの人にはおじちゃんおばちゃんと呼んでしまい、「おばちゃんですって!?このクソガキ」と言った心の声が滲み出た力の入った笑顔を見たことも少なくありません。

でもその頃の自分にとってお兄さんお姉さんと言うのは、実際の兄弟姉妹ぐらいの年齢差の人の事を指す言葉でした。大人の使う言葉とは意味が違ったわけですが、それを理解するのは大人には難しかったのでしょう。

今、息子とのコミュニケーションはやはり言葉によって行うのが圧倒的に多いです。言葉で伝えた時に果たしてどれほど私と息子との理解が一致しているのだろうかとふと思う事もあります。

いや、完全なる一致などしていないと思った方が間違いないでしょう。言葉から感じるニュアンスは個々の生活体験の中で培われるので、どれだけ同じ意味の言葉を理解していても感じ方は同じとはならないです。小学生の頃の自分が見た100円と今の自分が見る100円とでは印象が異なるように。

うんうん。思い起こせば小学生時代の自分には100円と言えばかなりリッチな印象でしたよね~。

でも言葉の印象が違うのは大人と子どもだけの話ではなく、大人同士でも実は一致していないのに自分の感じている印象を勝手に人類普遍の統一されたものだと思い込んでいるのです。と、ここに書いていても「え~?そんなことないよぉ。同じ言葉は同じ様に理解しているからコミュニケーションも成り立っているんです!」と思ってしまう人もいると思います。

大抵はそう捉えても間違いではないほどの僅かな誤差なので、問題が起きずに済んでいるのですが、誤解というものはよく生まれますし、また生まれてもそのままにされているのが多いのが恐いです。

人間関係を悪化させる原因の多くは思い込みから生まれた誤解です。思い込みは「マイ思い込みワールド」を作り出し膨張し暴走し、ついには妄想が現実に影響を与えてしまいます。

例えば朝に弱い人が出勤時に機嫌が悪そうに見えただけなのに、自分に対して良い感情を持っていないのだと思いこんだ人は態度に滲みでます。その態度が今度はその【朝に弱い人】にとっては「何か知らないけれど、私、嫌われてる?」と勘繰る元となります。するとお互いにひいき目とは逆の、やることなすことが気に食わなくなるという様になってしまいます。

だから腹を割って話し合い、真意を確かめ合うことって大事な事だと思います。話し合って「そんな風に思っていたのか」と初めて誤解していた事に気づくことも珍しい事ではありません。

私は会社や家庭でもできればそう言った機会を少しでも増やすことが出来れば、多くの問題が解決するように思います。

でもしょっちゅうそういう話し合いの機会を持つことは現実的にはなかなか難しいでしょう。

なので私は真意が分からない間は、どこまでいっても思い込みなのですからポジティブな思い込みを持つようにしています。

そうすればたとえ誤解であってもポジティブな誤解から生まれる雰囲気は相手に不快感を与える事は滅多におきないですし、自分の気持ちも軽やかでいられます。もし相手が本当に私に対して悪い感情を持っていたとしても、ポジティブに捉えている私の雰囲気から相手も私に好かれているという様に捉えます。

人は嫌われれば敵意を持ちやすいですが、好かれれば好意を持ちやすいものですのでポジティブな誤解は好循環していきやすいです。

さあ、みんなでレッツおめでたい奴!

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