成功は奇跡ではない

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成功に必要なものはなんですか?

一歩踏み出す勇気です。

アントニオ猪木 談

 

もう何年前かすら分からないぐらいかなり以前に何かで見た猪木さんのインタビューの言葉ですが、深く今でも私の胸に残っている核心を突いた言葉です。

なぜ勇気がいるのか?

それは成功には失敗の可能性がセットであるからです。

そもそも失敗のないものには成功なんて成り立たないですよね。

でも成功を目指して繰り返される失敗は、失敗するたびに失敗の可能性を少しずつ消してくれている成功への案内人です。

そして一歩の踏み出しという実際の行動が成されれば成功の確率が確実に「無」から「数字」へと変わります。

人の石橋を叩いて壊すなっちゅうの

私には石橋を叩いて渡る派の自称「現実主義者」の友人がいて、何かにチャレンジしようとすると必ず「やめといた方がいい」と言います。かなりの強さで。

「やめておけ」は確かに失敗の可能性を防いでくれる言葉ですが、成功の可能性を摘みとってしまう言葉でもあります。

失敗をただただ損失としてマイナスの体験としか受け止めない人は、失敗に対する恐れも大きいのでしょう。

成功とは才能に恵まれた人や運の良い人の特別な出来事で自分にはまず起こり得ないものと考え、ささやかな平凡な人生を無難に生きることが彼の人生哲学です。

彼は真面目でいいやつなんですが、この考え方については私はいけ好かなく思っています。

何かにチャレンジする人はなぜチャレンジするかというと、自分が好きな事、本当に望んでいる事だからです。でなければ努力なぞ続けられたものじゃあございません。

翻って言えば、チャレンジしない人は心から望んでいない事を仕方なく受け入れている人が少なくないのでしょう。

だから、他人の失敗を純粋に心配する気持ちだけでなく、望む事を実現しようとする人の足を引っ張って、自分の境遇を正当化しようとする気持ちもあります。

忘れられがちな先人たちの恩恵

人の成功の可能性を摘み取るっていうのも傍迷惑(はためいわく)な余計なお世話だとは思いますが、彼が無難な人生をささやかなりにも楽しみを持って生きれる社会を享受出来ているのは、彼が肯定的に見ようとしない先人チャレンジャー達の無数の「失敗」から生み出された賜物なんです。

例えば、いま多くの人が当たり前に利用している飛行機にしてもライト兄弟が周囲に馬鹿にされながらも失敗を繰り返してその礎になるモノを生みだしたから存在しているのです。

美味しい食材も数えきれない先人が食べてみて大丈夫だったものの上澄みです。中には食材の毒で死んだ人も絶対にいる筈です。

彼の言葉を聞いていると暗闇を歩いているときに誰かを先に歩かせ、自分だけ安全を確保して美味しいところを手に入れようとする様なニュアンスさえ覚えます。

自分自身だけが恐くてそうしてしまうのは仕方ないとしても、それを人にまでさせてしまうのはアカンと思います。

開拓者、探検家、研究家、起業家、芸術家、芸能人、スポーツ選手、個人事業主、その他にも全ての夢や目標を目指す人、みんな間違ったり、失敗したりして、発見や成功をしています。

必要な努力もしようとしない棚ぼた的なチャレンジは愚かですが、考えるべきことは考えて、努力を重ねるチャレンジから生じた失敗は決して馬鹿にされるべきものや、自信喪失するようなものではなく、尊い価値あるものです。

夢への努力がもたらしてくれる本当のギフトとは

よく耳にすることですが、成功者共通の真実は

「成功するまでやり続けた」

やはりこの一言に尽きます。

失敗から学び、同じ失敗はしないようにしながら歩み続けている人は確実に成功への距離を縮めているわけでもあります。

失敗が出尽くしたら(選択ミスに気付き方向修正することも含めて)、理論上はいつかは必ず成功するでしょう。

ただ残念ながら人生は有限です。

成功できないまま肉体的な限界を越えてしまったり、人生のタイムオーバーを迎えてしまう人もいるでしょう。

でもチャレンジし続けやるだけやった人には「納得」が残ります。

「あの時やっていればもしかしたら」という後悔がないです。

また、努力というものは何であれ何らかの人間的成長を促します。

何もしなかったあなたより、どこかが魅力的な自分になれるということです。他人に分かる魅力ではなくても、自分自身で自分を捨てた物じゃないと思えるのはとても幸せなことです。

それこそがやるだけの事をやった人だけに訪れるお金では買えない最大の財産で、人生最期の時に見る走馬燈をもきっと良いものにしてくれると思います。

それが自分の人生そのものを成功として仕上げてくれる本当のギフトだと、そのように私は思います。

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