という事で夫婦について考えました。フフ。
言うまでもなく、法的に認知された夫婦となるには結婚(婚姻届けの提出)をしなければなりません。
では人は何故に結婚するのでしょうか。難しい話ではなくてシンプルにですよ。
実際は色んな理由があると思いますが、ここはざっくりと二つ+αに絞るとします。
その二つ+αの理由とは。
一つ、一緒に暮らしたい。(感情的理由、経済的理由、或いは両方)
二つ、子どもを育てたい。
+α、世間体。
この中のどれか一つ、若しくは複数の理由で結婚する人が大半ではないでしょうか。
+αについては一昔前はα扱いではなく主流と言っても良いぐらいでした。
お見合結婚が一般的だったのは世間体意識が強かったからでしょう。
ホームタイトルにもあるように私は晩婚で、私の親もかなりの晩婚でした。父は大正14年生まれで明治生まれの祖母も同居していましたので、親達の古い話をリアルタイムで聞けたわけです。
私の両親はお見合をして3日後に結婚させられました。したのではなく、させられたのです。
結婚するのが当たり前という風潮に対する世間体と世継ぎの為の結婚には断るという選択肢はありませんでした。そういうドラマの様な時代が実際にあったのです。恋愛が現代の様に気軽に出来るものではなく、男女の逢瀬は人目を忍んで行われるようなものだったのですから恋愛結婚も少なくて当然です。
さて、対して、昨今は恋愛結婚が主流です。一緒に暮らしたいというのが主な理由の結婚です。
お見合パーティーなどは盛んですが、恋愛結婚をする為のお見合ですので昔とは意味合いが違います。
結婚は社会や家の為にするというようなものから、価値観の一致や恋愛感情、少なくとも好感を持てる事を基本とした人間的なものとなりました。
恋愛が自由となれば結婚が増えそうですが、現代の方がお見合主流時代より既婚率は低下し離婚率は高くなってしまいました。
昔タイプのお見合結婚は言うなればスタート地点が0から始まるのでお互いに良い事も悪いことも共に知っていくことになります。
恋愛結婚は恋愛という超プラス思考な見方で相手を見、しかも自分は良い面を見せて相手の気を引きっぱなしで結婚することが多いです。もう、お察しがつくかとは思いますが、結婚してからお互いに知っていくことは引き算に偏り易いです。
引き算に加えて「超プラス思考」の有効期限切れもやがて訪れてまいります。恋愛は幻想だと思い直す人が出てまいりますのも無理からぬことです。
昔のテレビCMじゃないですが「あたしゃ愛より金がいい」と言った打算的なモノになりがちなのも恋愛の儚さに気づいた人の悲しい結論なのでしょう。
昔タイプのお見合で結婚した人達は0からのスタートであるからこそ、良い家庭を築くには努力が必要なのは当たり前という覚悟を持っていたのではないかと思います。
そして0からだからこそ、お互いに愛を育もうという姿勢がしっかりとあったのではないでしょうか。
育む努力を必要とせず生まれた情熱型恋愛は「情・熱」なので熱が冷めるのが殆どです。冷めると覚めるってもんでしょう。そりゃあ、儚いものと結論付けてしまうのは当然です。
でもそれは育んで得た愛を知らないからこその結論です。育む必要があることをしっかりわきまえている人にとっては、お見合でも恋愛でも「熱」ではない「愛」を育てられると思います。「愛」は冷めるようなものではございません。
瞼がだいぶ重たくなってきましたので、子供を育てたいという理由については、また明日の記事にて書きますね。