躾けの落とし穴

プロフィールにある様に私は高齢者福祉の現場で仕事をしていました。デイサービスセンターのセンター長という立場でもありましたので、ケアマネージャーの方たちと「要支援」や「要介護」の認定の話などを良く交わしていました。

このような書出しではありますが本日は高齢者介護のお話ではなく子育てのお話です。

「要支援」ということで支援という言葉が出ましたが、これはバランス感覚のいる行いで、しっかりと見守り、時には介助しながらも手を出し過ぎず、本人の努力可能な範囲を見極め自身の残存能力を衰えさせぬようにサポートするわけです。

より日常生活活動の制限が高い「要介護」レベルでは介護の場面が多くなりますが、やはり廃用症候群などにならぬよう、出来る限り本人に動いてもらえるところや自分で出来る所はしてもらうようにします。

さて、子育ての始まりは何かと言えば赤ちゃんです。

人は年を取れば段々と子供にかえっていくと言われますが、赤ちゃんの無防備さと要介護レベルの高齢者の不自由さは通じるところがあります。乳幼児期の子育ては介護ではないですが完全なる保護を必要とするわけです。

しかし保護はそのレベルの時期には必要ですが、時期を過ぎてまで保護を続けることは不要どころか健全な成長を阻みもします。過ぎた保護をするのを過保護と言うわけです。

高齢者と違い乳幼児はもの凄い速さで成長し、心身能力のレベルが変わっていきます。

親御さんたちは毎日一緒に近くで見て生活しているが故にこのレベルの変化に気づかず、保護からサポート(支援)に変えていくべきところを、過保護、過干渉、或いは支配というものを続けてしまう人が少なくないです。

「支配」という穏やかでない言葉がでましたね。

ペットが好きな人は多いですが、ペットは支配できるから飼い主の人間は気楽で機嫌良くいられるのです。飼い主の命令に逆らう事を許さないというのは支配しているわけです。命令に従うようにペットに教え訓練することを「ペットの躾け」と言います。きっちりと躾けられたペットは賢いペットとして認められます。

一方、人間にも同じく「躾」があります。躾けるという言葉は動物にも人間にも使いますので、意味合いの違いに気づかない人も多いかも知れません。

その違いは支配の為の躾か、よりよく生きるための躾かの違いです。同じ言葉でも動物と人間とでは全然意味が違います。

もし子育ての問題を感じているのであれば、無意識のうちにその様なペットに通ずるような躾けの感覚で子供に接しているところがないかセルフチェックするのも意味があるかと思います。

子どもを人生経験の少ない一人の対等な人間として捉えていれば、簡単に怒鳴り散らしたり頭をしょっちゅうパンパン叩いたりなどは出来ないものです。人は油断すると弱い存在をいじめてしまいがちですし、子供という存在を軽んじてしまいがちです。

子育てをしていると折に触れ自分の内面と向き合う時間が増えているのを実感しています。まさに教育は共育ですね。

子どもに対して行っている自分の言動や行為には、自分のどういう望みが潜んでいるのかをしっかり意識化する事は必要だと思います。


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