小林麻央さんが旅立たれた事については既に多くの方が書かれていますので、私がここに書く意味があまりないのではないかと思いなかなか書けずにいました。でもこのブログは私個人の日記でもありますので、今回ばかりは私の自分自身の為に書きとめているとしてご理解ください。
各種報道機関やネット媒体などにより小林麻央さんご本人の事を中心にご主人の市川海老蔵さんや姉の小林麻耶さんの愛情と献身的な姿、残された子供たちの健気さと痛々しさ、大勢の人たちの思いを知る事となりました。
麻央さんがBBCの「100 Women(100人の女性)」に寄稿したメッセージは、改めて人生を生きるとはなんたるかを教えてくれた気がします。
例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
生きているとついついインパクトの強い出来事にフォーカスを絞ってしまい、その出来事がネガティブな事であればますますそうなり易いです。そして今現在の状況が自分の人生そのものの様に勘違いしてしまいがちです。
でもよくよく考えれば、今起きている出来事やネガティブな出来事のみでこれまでの人生全てが出来上がっているわけではないのです。
人生というものを評価するならばトータルで行って然るべきなんです。
麻央さんはこれまでの人生全ての中に散りばめられた沢山の幸せを、今目の前にある病魔という人生の一部の出来事に埋もれさせず、忘れずに大切にする事が出来ました。
これは、全ての人々にとって大きな気づきを促すものになったと思います。少なくとも私は「そうだったよなぁ」と改めて思い出しました。
一方、哲学者の新田諭氏は革命的発想というものの一説のなかで次のように述べています。
この世的成功は、必ずいつか消滅することになります。
なぜなら、
私たち人間は必ずいつか死ぬからです。
どんなに多くのこの世的成功を得ても、最後の死によって根こそぎ奪い取られるのです。
まあ、哲学とは私には面白くも難しいものですので、意味の取り違いをしているのかも知れませんが、小林麻央さんが死に直面しながら残してくれたメッセージの方が、一人の哲学者が考えた結論よりも人生を有意義に明るく生きる力を与えてくれる様に感じました。
哲学者も哲学者で真実の幸福を求めて深い思索から自分なりの結論を導き出しているわけですが、理詰めで考えるのと、周囲の愛の中で自分自身の愛をもって自分自身と家族と全ての人々に人生の意義を提唱するのとではその結論の持つ温度が違うように感じてなりません。
哲学は哲学の為の哲学になってしまうと本来の意義を失ってしまいますが、往々にしてそうなりやすいです。それは時には宗教学者や宗教家、信者にもあてはまりますが。
小林麻央さんのメッセージは宗教でも哲学でもなく、ブログ発信という勇気ある行動を起こした事により、更に多くの人の愛情に包まれ、そして麻央さんはそれに感謝を抱き愛ある言葉を綴る。まさに人々から麻央さんへ、麻央さんから人々へと巡った愛の循環の結晶です。
市川海老蔵さんご家族のこれからの大変さを考えると胸が詰まる思いが正直ありますし、簡単に感謝を申し上げるのも気が引ける所もあります。
それでもこの出来事を麻央さんのBBC寄稿のように私たちがポジティブに受け止めていくことで、この出来事に最も意義をもたらすことになると私は思うのです。