先日、息子と公園で遊んでいると、砂場で山を作って遊んでいる子が「お父さ~ん!どうやってトンネル作ったらいいの~?」と呼びかけていました。
そのお父さんは離れた場所でスマホをいじり続け「固めたらいい」と一言返すとまたスマホをいじり始めます。
子供はかまって欲しそうに何度もお父さんに声をかけ続けていましたが、お父さんはスマホゲームをしている様子で遠くから指図し一向に子どもの方に近づこうとされません。
私の息子はそれを見て「あのお父さんは子どものこと、好きじゃないのかなぁ・・」とボソッと漏らしました。
うちの息子でもそう感じていたのなら、当の本人もかなり残念な気持ちを感じていたのだろうと思います。
多分お父さんも公園に連れてきているぐらいだから自分の子どもの事を嫌いなわけではなく、ただスマホゲームの魔力的な中毒性にとらわれていただけなんだと思います。
でもこんな時の場面というのは、子どもは大きくなっても忘れないんじゃないかと思いますね。
ましてや寂しい気持ちを感じたりしていたら、強い印象となって残る可能性が高いです。
一方、当のお父さんには何の意識にも印象にも残らないスマホを公園でいじっていたある日の午後でしかなかったでしょう。
こういった気持ちのギャップというのは、注意深く振り返れば結構あるのではないでしょうか?
スマホの件だけに限らず、いつからか特にお母さんによく見かけるようになった【叱る時に簡単にヒステリックな声を上げてしまう自分】を意識できていなかったりしても、子どもの方は怯えやストレスを大人より敏感な感受性で感じているわけです。
子どものその様な記憶はなかなか消えません。何故なら記憶は感情を伴うと強く残るからです。
親が無意識で行う行動、言動を子どもの感受性は敏感にキャッチし、無意識に癖としてしまったり、自らが受けた辛い経験を他者に対して同じような行動として向けてしまったりするのでしょう。それを見た親は自分の行動を「子どもの行動」を通して客観的に見る事となり、初めて気づくのです。
それを「子は親の鏡」と昔から言ってきたわけですね。
出来る事なら子どもの持つこのコピー能力を親である自分のマイナス面ではなく、プラス面で使わせてあげたいなと改めて思いました。
特に何かアイデアを考えて子どもの喜ぶ様な事をするというわけではなく、ただ子どもの人格を軽んじる事なく、その気持ちに寄り添った対応を心がければ自らの心も穏やかになり自然とポジティブな自分が現れてくるものだと思います。