小学校の入学式 子育てを思う

今日、息子の入学式に参列してきました。

小学校というものが大好きな私はこの日を息子以上に楽しみにしていたと思います。

なんというか小学校の醸し出すオーラが好きなんです。特に校庭と白雲の浮かぶ青空のマッチングは過ぎ去りしあの頃の光を思い出します。

付け加えれば普通の公園で過ごすのも好きです。なんというか時間がゆったりと流れている様な感じが好きですし、これまた子供の頃の懐かしい感覚に似ている気がするのです。

さて、息子は先月まで保育園に通っていましたが、なかなかハードな保育園で運動会やお遊戯会、音楽発表会にマーチングなどイベントは大掛かりでかなりの力をいれていました。

おかげでフラフープを腰が折れるのではないかというぐらいの勢いでぶん回せるようになりました。

保育園のおかげで算数や英語なども少しできるようになりましたが、息子本人はフラフープの上達の方に満足を覚えており、マーチングの練習で身に付けたドラムテクニックをゲームセンターの太鼓叩きゲームで活かして喜んでいます。

小学校の校長先生はとても優しい方で、その影響か先生方も優しい雰囲気を醸し出していらっしゃいましたし、上級生も優しいお兄さんお姉さんが多く、とても親切に息子を誘導してくれていました。

思い返せば保育園の園長先生は園児には優しい方でしたが、傍から見ていても保育士の方々には厳しそうでした。

園児を思う気持ちの強さゆえに真剣に取り組んでおられたのでしょうが、保育士の方はピリピリしていて、そのプレッシャーやストレスが結局まわりまわって園児に声を荒げたりすることになり、園児までがしんどくなるんです。

何事もほどほどが大切だなと思いましたね。

小学校の上級生に息子と同じ保育園卒の先輩がいて「(保育園と比べて)楽やわ~」と言っていたらしく、保育園時代には能面フェイスだった息子にも小学校ではとうとう笑顔が訪れました。

息子は保育園時代も保育園の外では喋りまくり踊りまくりお尻出しまくりではありました。

ただ、息子は保育園の先生が園児一同に「静かにしなさい!」と言ったのを真に受けて、それ以来ずっと静かにしていたそうです。

カウンセリングの先生が教えてくれたのですが、息子はものすごく真面目で(尻は出すのですが)言われたことをそのまま頑なに守るところがあるそうです。これは発達障害などの子にも見られることですが、特にそういう診断はなかったです。

でもこれは私にも思い当たる節があったりして、一度昔の職場で「くそ真面目」と言われたことがあります。別のところでは「誠実」と言っていただいたこともあり、まあ人の個性ってのはどの角度から見るかで評価が変わるものです。

息子はその真面目さゆえでしょうか。保育園時代に歯列のメンテナンスで歯医者さんに通っていた時のことですが、保育園の制服を着ていった時は歯科医の問いかけに答えないのですが、私服を着ていったときはいっぱいお話をするのです。

制服を通して保育園の呪縛がここまで影響を及ぼすとは恐るべしです。

やはり子供というものは、威圧で言う事をきかせるものではないですね。

私が息子を初めて大きい声で叱った時のことですが、息子がその時に雷に打たれたかのような驚いた表情をして泣き出したのを今でもよく覚えています。晩婚父ちゃんとしては辛かったですね。そのすぐ後に「分かった?」と聞き「ならいいいよ。ノボちん(息子のこと)のことは大好きやからな。」と言って抱きしめてあげました。

子どもは成長し親が怖くなくなる時が必ずやってきます。

その時にそれまでにとっていたその子の行動が親や大人の威圧に従ってのものだったのか、物事を理解してこそのものだったのかの違いがきっと表れてくると思います。

やっと小学校に入学した我が息子もまだまだ親に頼らざるを得ないか弱い存在です。

子どもが落ち着きが無かったり言う事を聞かなかったりすると、そのか弱さが故に親はぞんざいに扱ってよいものと勘違いしてしまう事もあり、且つ無自覚な場合が多いです。

子どもが落ち着きが無かったりするのは、まだ脳が未成熟で自制する能力が未発達だからです。「未発達」は怒るべき対象ではないですよね。

時にはしっかりと叱る事も必要な時もあるでしょうが、伝える表現としてではなく感情的に子どもに怒鳴っている自分に気づいたら、もし相手が大人だったらと想像してみると別の対応が思い浮かぶはずです。

私は子供の頃の記憶が割とはっきりしている方で、自分自身の子どもの頃を振り返ると、何事も疑う事を知らずに聞いていた事を覚えていますし、感じる心は今の自分と同じ様に、いや何につけ初体験が多いので今以上に新鮮且つ鮮烈に感じていました。

言葉はまだ意味を正しく分からないまま使っていたり誤解していた事もありましたが、大人が子供に対して思っているほど子供は分かっていないわけではありません。

その中にある感覚は大人以上に活発に働いています。

さて、小学生になった息子がどのような心を育て、肉体を育てていくのかを楽しみに見守りながら、私自身も父親として共に育っていきたいと思います。

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