宿命はある 運命はない 生む命があるのみ

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伝説のカモだけど

ADHDの特性として人を信じやすいということを以前のブログにも書いたことがあります。

営業のカモになったり、宗教勧誘のカモになったりと、自分でもよく無事に生きてこれたものだと思います(笑)

そんな私でも、いや、そんな私だからでしょうか。昨今のいわゆるスピリチュアルな甘い慰め言葉を聞くと気持ちが悪くなる時があります。

特になんでもかんでも意味づけをして、全てを宿命、運命で片付けるのは人を前向きにさせないというか人から健全なエネルギーを奪う考え方だと思います。

宿命と運命

私は宿命はあると断言します。何を持って宿命と言うかですが、私の場合で言えば私自身が男に生まれたこと。生家の日本人の父母のDNAを受け継いだ子としてその生年月日に生まれたこと。飲み食いしなければ生きていけないこと。

以上のような、どうあがいても変更できないことですね。

性別は性転換手術で変えれるではないかと言われそうですが、それは形だけを似せただけで、性が本当に転換したわけではないので、男は性転換しても子は産めないし、女は性転換しても子種を与えることは出来ない。

それに対して運命とは何らかの働きによってそのようになるべく流されていく人生の流れのようなものといったところでしょうか?

原因があって結果があるのは全くその通りなので、そういう意味では運命はあるというのは異存はないです。

全ては必然なのだとしても

ただ何か事がある事に「出来事に偶然はない」とか言って、全てに意味があり決められていた事の様に語るスピリチュアル系の話には首をかしげたくなります。

それならば犯罪によって命を奪われた人たちも、戦争で親を奪われた子供たち、生まれてすぐに命を絶たれた赤ちゃん・・・全てはその為に生まれてきたってことになりますよね。それを肯定するスピリチュアリストは少なくないです。前世の行いの償いだとかなんだと言って。

もし身内を失った被害者家族にも同じような言葉で慰めるスピリチュアルカウンセラーがいるとすれば、これって共感の無い本当に突き放した他人ごとの冷たい感覚だと思うんですよ。

キリスト教の教えのひとつにある「全ては神からの借り物」だからいずれ全ては返さなくてはならないというのは、仏陀の「この世は苦で溢れている」と同じくまごう事なき宿命的事実であり、そこを見つめることから心を整理する事に繋がる言葉です。事実を知ったうえでのステップです。

事実が人に与えた気持ちの事をすっとばして、お気軽にそうなる運命だったのよという言葉には頷く必要などありません。人生はあらかじめセッティングされたシナリオをなぞっている三文芝居などではなく、自分が生み出し作り上げていく「運命unmei」ならぬ「生む命ummei」です。

だからこそ生きる価値があるのであって、自分なりに一生懸命もがきながらも歩んだ跡が道となり「ummei」となっていくのです。

運命を決めてもらいたがるのは責任転嫁

しかし、運命という人生の設計図は決まっており、その本当の運命に沿って生きていないのが上手くいかない原因だと考える人はいます。

「運命は決められている。それが視えるスピリチュアルカウンセラーが言う事が正しい」と思われる方がいらっしゃるなら「それはそれであなたの人生ですが、結局はその考えも自分が選んだのですよ。」と言いたいです。

自分自身の判断が心もとないと思ったからスピリチュアルカウンセラーに聞きに行ったのに、結局スピリチュアルカウンセラーのアドバイスを真実だと受け入れるというもっとも重大な決断はその人自身がしているのです。

スピリチュアルカウンセラーや占い師でも運命が本当に視える人もいるかもしれません。そうだとしても、いやそうであれば猶更その運命をただ教えて可能性を奪う様な人ではなく、あなたの意志を尊重し運命を切り開く手伝いをしてくれる人であるかをしっかり見極めるようにしてほしいと願います。

Take it easy

自分の人生の正解なんて死期が訪れるまで誰もが分からない事です。だから間違いや不測の事態が起きても当たり前というか、人生ってそれが前提のものです。

正しさや失敗というものに対して神経質になり過ぎず、過ちを犯したのならば一生懸命に生きる事によって取り返す。そんな程度で十分じゃないでしょうか?

だって前世の記憶が無いんですもん(笑)

え?あるの?


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