騙されやすいADHDの自分が気を付けている事

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人が騙されるとき

以前の記事にADHD故なのか私が人に騙されやすかった事を書いたことがあります。

人が騙されやすいときというのは「さすがに人としてそこまでの嘘はつかないだろう」と思っている時です。でも世の中には「サイコパス(先天的に良心や愛情や共感する能力が完全に欠落してしまっている人)」とまではいかなくとも「平気で嘘をつける人」がいるので、そういう人達の嘘は常識的な人達からすると一線も二線も越えているので、私たちは疑いを持たぬまま騙されるので詐欺師や悪質営業を行う者にとってはカモになってしまうのです。まったく大人が赤んぼうの手をひねるようなフェアではない卑怯な許されない行いです。

疑うことと検証とは違う

それに対して私たちとしては防衛を考えざるを得なくなるので、人々は疑う事を覚え疑心暗鬼の社会になってしまっています。でも出来れば人を疑うなんてことはしたくないというのが大半の人の気持ちではないでしょうか。

人を疑う事が苦手な方はその人を疑うのではなく、自己の責任としてその話の内容をしっかり検証するという気持ちで話を聞けばいいです。加えて即答を避けることで、頭を冷静にし、人に相談もできますし、ネット情報を参照する猶予も得られます。

これにより所謂「甘い話」や「情に訴える話」などには乗らされることはなくなると思います。

情報商材詐欺

例えばアフィリエイトなどに代表されるネットビジネスの広告文には「誰でも楽して必ず儲かる」系の詐欺的なものが未だに見受けられます。

そんなものが実在するなら生活保護問題などはとっくに解決しています。未だに貧富の差が大きくあり、悲しいニュースがある世の中ですからその事実の存在がそれら詐欺的広告に対する答です。

あとそのような広告などにも特商法は義務として表示されていますので、そんな広告には大抵「結果には個人差があり、成果を保証するものではありません」と書いていることでしょう。「誰でも」「必ず」という広告文を出している同一人物が示したものとは思えない矛盾した文言ですね。

仕事に利用されている事には気づきにくい

あと人の純粋な貢献したいという気持ちを利用・悪用するブラック企業なども、本人自身が利用されている自覚が芽生えにくいので難しいです。

私も福祉施設で働いていた頃は安月給だったにも関わらず、給料以上の貢献をお年寄りの方達に捧げさせていただく事に仕事のやりがいを感じていました。これは個人の内面世界の事ですから、本人がそれで充実感を持っていたらそれで良い事なのかもしれません。

でもその奉仕的な精神を利用するかのような企業や国の姿勢では、現場が改善される事は望むのは難しくお金だけの為に働いたりしていない心ある人材も、やがては疲れ果てて業界から去っていくことにもつながります。

ほどほど 中道

中道と言いましょうか、何事もホドホドにしておくというのは自分も他人も大切にする為に大事な事です。奉仕的意識の高い人なども職場全体の中での自分の働きを客観的に見る必要はあると思います。

自分なりの遣り甲斐も暴走すると独善的なものとなってしまい、自分と同じように考えていない人を蔑視したりする気持ちが生まれる事もあるかも知れません。

キリストの有名な言葉に「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」というのがありますが、「誰かを愛するがごとく自分自身をも愛しましょう」というのも対でしょう。

自分への優しさや愛がまた他人に対する関わり方にそのまま表現されるというわけですね。

自分がハマってしまう事には「やり過ぎてしまいがち」なADHDの人は、他人を「信頼しすぎる」傾向も強いので、人への慈しみの気持ちや信頼もそのように考えてバランスを取っていくのが嘘の多い社会では大事な事かと思います。

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